WedNov 25th

長谷川 いまの状況に対する問題意識や疑問を持っていることが重要だと思っています。周縁の領域というのはいわゆる安全ゾーンにはありません。イスタンブール・ビエンナーレで「edge of chaos」という、カオス理論で用いられる言葉を使ったのですが、カオスの縁は新しい秩序が生まれてくる場所と言われています。新しい秩序というのは力強く、次の方向を示唆するものです。そういう強い構造や提案を持つもの、新しい世界観を示唆するものが人を惹き付けるのであり、要は既にあるものに対してあまり興味がないのだと思います。


小崎 長谷川さんが親しくしていたキュレーター、ハロルド・ゼーマンは、伝説的な展覧会『態度が形になるとき』(1968〜69年)においてハプニングやパフォーマンスアートを持ち込み、それまでとはまったく違う展覧会を世に問いました。「現代美術は常に新しいもの、革新的なものを求め、美術の概念を広げる役割がある」と優れたアーティストやキュレーターは認識していると思います。長谷川さんもそのような認識を持っているのでしょうか。


長谷川 どこまでも想像力を広げ、秩序への考えを及ばせてもよいという「自由」に常に憧れを持っています。音楽や演劇と比べてアートはあらゆるパフォーマンスや実験音楽を受け入れ、新しいものを提案し、様々なものの交錯を許す場所です。私にとってアートは「edge」を拡張していくためのフィールドだと考えています。


小崎 一方でアートは、何でも見境なく飲み込んでしまう貪欲さを持っているとも言えますね。


長谷川 「善き人間性」、ユートピア的な倫理性というのがあると思います。ひとつの理念を共有し、見据えることで、それは回避されるのではと思います。


小崎 東京都現代美術館のチーフキュレーターに就任後、最初に長谷川さんが企画した『SPACE FOR YOUR FUTURE』(2007)は建築やファッション、デザインと様々な領域を横断した展覧会として非常に画期的でした。これはどういう考え方で作られたのでしょうか。


オラファー・エリアソン「四連のサンクッカー・ランプ」2006年
個人蔵 Courtesy Gallery Koyanagi 写真:木奥恵三

長谷川 東京には多くのデザイナーや建築家がいますが、それぞれがカテゴリーの中の約束事に捕らわれていて非常にもったいないと思いました。何でもありの状況ですから、観客の感覚にヒットするものを見せていけば、何かが動くのではと思ったのがきっかけです。

データベースの共有や制作の過程において、テクノロジーの発達によってひとりのクリエイターが最後まで全部作るような状況ではないことは、アートもデザインも建築も同じだと思います。さらに、プログラムやコンテンツを可能にしている市場や生産システムなども重要でしょう。それで、プログラムの組み替えが可能になれば、様々な構造の影響が現れてくると考えました。そこで重要なことはあるべき社会のビジョン、つまり自分たちにとってユートピアは何かということです。それぞれが少なくとも善きものに向かっていく力があるとすれば、受け手がどうリアクションをし、どう変わっていくのかを確認し続ける行為の中にのみ、それを見出すことができると思いました。


小崎 領域横断的な視覚表現について考え始めたきっかけは何でしょうか。


長谷川 フセイン・チャラヤンやオラファー・エリアソン、NASAで仕事をしていたジェームズ・タレルなど幅広い活動をしている作家たちは、制作の過程でどこを自分のビジョンでカバーし、どこの部分を相手に預けたらいいかという協働の概念を持っています。そこに可能性があると思いました。また、最近出てきたクリエイターは自分をひとつのメディアのように捉え、自分自身=触媒が周囲に働きかけることで何を起こすかを考えているように思います。


フセイン・チャラヤン「LEDドレス(光る水のドレス:エアボーン・コレクション/2007年秋冬より)」2007年 
Hussein Chalayan in collaboration with Swarovski 写真:木奥恵三

小崎 展覧会カタログでは、村上隆さんが提唱した「スーパーフラット」の概念をまず評価しながら、もはやその概念そのものが遊戯的に取り扱われるようになって、有効ではないと書かれています。ゼーマンがしばしば取り上げたヨーゼフ・ボイスは、アーティストとは社会的な作品を作らなければならないという「社会彫刻」の考えを訴えました。そういう考え方に基づき、スーパーフラットに影響されたものに対する批判を述べられたと思うのですが、「Space」をテーマにした展覧会を企画したのは、平面的なものでは現代を表現するのに足りず、空間が重要であると考えたからでしょうか。


長谷川 平面は視覚的で空間は身体的ですよね。視覚という機能は理性に最も近いと言えますが、ある意味では頭でっかちな部分もあると思います。またコンピューター上では限りなく何でもありですが、どんなに多様なバリエーションを組んだとしても2次元の限界がありますよね。遊戯的にハイパーに操作されるのは楽しいものではありますが、セーフティゾーンの中でのことです。一方、立体や空間というのは、絶えず現実とネゴシエーションし、衝突する部分がある。私たちの感覚や五感を別のことと再結合する必要があると思いました。


小崎 一方で長谷川さんは、開かれた施設と、クリエイティブな観衆を作ることを実践されてきましたよね。それは、ニコラ・ブリオーの言う「関係性の美学」の延長線上にあるものとして、あるいはその21世紀バージョンとして考えていいのでしょうか。


長谷川 ニコラの「関係性の美学」は60〜70年代のシチュエーショニスト的なものであり、リクリット・ティラヴァニなどの作品とも、私の「開かれた美術」という考えとも少しずれがあると思います。私の場合は、入口がより多様である関係性を結んでいくという側面があります。身体の内部の感性や自分自身のものの見方を覚醒させることから、ソシオポリティカルなものまで、いろいろなレベルで関わっていきたいと思います。


小崎 抽象的な「状況」よりも、具体的な「個人」に訴求したいということでしょうか。


長谷川 そうですね、それは日本の風土にも因ると思います。日本においてコンテンポラリーアートは反体制的に社会を脱構築し、思想を変えていくという枠組みでは動いてないと思います。むしろそういうフレームで捉えて紹介し続けることによって、コンテンポラリーアート離れが起こっていると思います。


小崎 日本という枠組みで言うと、長谷川さんは2003年のヴェネツィア・ビエンナーレ日本館で、当時まだ30代だった曽根裕と小谷元彦の2人展を企画しました。前者は海外を拠点にし、どこでも通じるユニバーサルな作品を作るのに対し、後者は日本にいてサブカルチャーに造詣が深く、彫刻を中心とする美術史に向き合いつつも、格闘技やホラームービーが好きで作品にもそれを引用する作家です。ふたりを対照的に見せることによって、いまの日本の状況が反映されるという考えもあったかと思いますが、いまでもそのような認識をお持ちでしょうか。


長谷川 単純な2極構造ではないですが、いまもそのモデルはあります。海外で勉強して帰国し、多様な展開をしてまた出ていくという、第3のタイプも現れています。

(後編は12月2日(水)に公開を予定しています。)

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カスタネダが引用する「孤独な鳥」の詩(「孤独な鳥の条件は5つある。孤独な鳥は最も高いところを飛ぶ。孤独な鳥は同伴者にわずらわされず、その同類にもわずらわされない。孤独な鳥は嘴を空に向ける。孤独な鳥ははっきりした色をもたない。孤独な鳥は非常にやさしく歌う」
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